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フェミニストで作家『ラブピースクラブ』の代表・北原みのりさんにインタビュー【第2回】

第1回のインタビューはこちらです「フェミニストで作家、『ラブピースクラブ』代表・北原みのりさんにインタビュー【第1回】

──北原さんはかつてフェミニストのインディペンデント・マガジン『バイブガールズ』を発行されていて、編集長を務められていますよね。今も一部でzineやインディペンデントで出版物を作る活動ってとても活発な印象があるんですが、当時の反響や雑誌を刊行しようと思われたきっかけについて伺いたいです。

私はものすごく雑誌が好きだったので、高校生の頃から雑誌の編集者になりたかったんですよね。
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もともと私が会社を立ち上げたのは自分が男社会で働くのは本当に無理だなと思ったのと、女性の性にまつわる仕事をしたいと思ったときに女性向けのワークショップを開いたんです。そのワークショップに集まったのがすごく楽しい人たちで、「このまま何かやりたいね」と話しているうちに「じゃあフェミニズムの雑誌つくろうか」となってはじめたのが『バイブガールズ』で、そこでライターの方やすごくいい人たちに巡り会えました。やっぱり90年代って「私の快感は私のもの」みたいな、もっと女性向けのポルノ本とか、そういったものが商業として成り立っていた頃で、私のしているような仕事もきっと「新しい」と思われていたんだと思います。

──反響はたくさんありましたか?

そんなになかったような…。でも少し売れたと思います。1000部刷ってそれは全部売れて、そのあと増刷もしているから、なかなか悪くなかったのかもしれません。割といいほうなのかも。

──充分すごいと思います。レイアウトもすごくプロフェッショナルな雑誌ですよね。

でも今と違ってネットですごく議論するとかそういう時代ではなかったので、こういうものが読みたいと思ってくれたのかもしれないですね。当時印刷代もすごく高くて、続けることが大変だった記憶があります。

──北原さんは20代で起業をして女性だけの会社を作られたということですが、女性だけの会社を運営していると「ドロドロしてるんじゃないか」とか、そういうふうに偏見を持たれることってありますか?

「女だけで大変だね」とか色々言われることもあるんですが、そもそも私が女性だけの会社を作りたかったのはやっぱり女性にちゃんと雇用を作るのが大切だと思ったのと、あと女性の性と体のことを扱う会社なので、やっぱりそれは当事者によって語られてほしいという明確な気持ちがありました。会社の中での色々な人間関係はもちろんあるけれども、「女だけだからドロドロしている」はいうのはすごくレベルの低い話だなと思います。たとえドロドロしていたとしても女だからそうなっているわけじゃないですよね。それよりも私はドロドロした男性に嫉妬されるのが一番恐ろしいです。女性って「男性を怒らせないように」とか「男性のプライドを傷つけないように」とかそういうことを小さい頃から知らない間に教えられていると思うんですが、私も萎縮してついそれをしてしまう時があって、男性を相手に仕事をすることのほうがすごく難しいと感じます。

──北原さんが影響を受けたられたもの、たとえば映像作品や本など、なんでもいいのですが教えていただきたいです。

やっぱり影響を受けたのは女性同士の関係性が描かれている小説や映画ですね。映画だったら大学生の時に見た『テルマ&ルイーズ』。あと衝撃だったのは『フライド・グリーン・トマト』。南部のアメリカの1920年代と1980年代の女性たちの物語が交差して描かれます。夫にDVを受けた親友を救い出す20代の女性と、一方で夫の愛情を得るためにはどうすればいいんだろうとばかり考えている80年代の主婦の出会いなんです。現代の主婦役を演じているキャシー・ベイツが最高で。その作品の中で彼女が「もう『ミザリー』なんてやってる場合じゃない!」みたいなことを言う台詞があるんですが、そこが大ウケという。『フライド・グリーン・トマト』は本当にシスターフッドと世代の繋がりが描かれたお話で、もう数え切れないくらい観ているんですが、本当に素晴らしいですね。

──『フライド・グリーン・トマト』のこと知らなかったです。今検索してみたらDVDも絶盤みたいですね。以前作家の柚木麻子さんにインタビューをさせていただいた時にシスターフッドな女性同士の関係を描いた傑作はなぜか伝説化しない、とおっしゃっていたんですが、それをふと思い出しました。

そうかもしれないです。『フライド・グリーン・トマト』ももしかしたらそんなにメジャーになってないのかもしれないですね。あと00年代だと『ベーゼ・モア』ですね。フランスの映画なんですがフランス版『テルマ&ルイーズ』みたいな感じで、女性の逃亡劇のお話なんです。まず最初にレイプシーンから始まって、でもそのレイプシーンでレイプされている女性が全く叫ばないんです。その間に加害者の男が「こんなのつまんない」って途中で萎えるんです。すごくリアリティがあると思いました。それで家に帰るとその噂が回っていて、「お前あいつにレイプされたんだって?」ってお兄さんがすごく怒っていて、それで彼女は「お前が逆上してんじゃねぇよ」ってその兄を殺すところから逃亡劇が始まるんです。すごい話ですよね。

小説だと子供の時はふつうに「名作」を読んでいました。でも「名作」の作家って男性ばかりなんですよね。中学生になったくらいから女性作家の作品に夢中になっていました。当時、氷室冴子とか新井素子とか、いわゆるコバルト世代、コバルト文庫がちょうど出てきました。氷室さんや新井さんのデビュー作を読んで、そこで描かれているのって本当に女性が主体として描かれている物語なんです。そういう作品を読んでいると女性が記号としてしか描かれていないようなおじさん小説に戻れなくなる、というのはありましたね。

──私も今頃氷室冴子さんの大ファンになってしまって。亡くなられた後なのですごく残念です。

氷室さん、すばらしいですよね。当時女の子たちの間では教室で氷室さんの作品をみんなで回し読みしながら「次の氷室さんの本なにー?」という感じで大人気でした。

──でも氷室さんの本って今はほとんど絶版になっているんです。

え、そうなんですか?!それは残念。復刊してほしいですよね。氷室さんが活躍されていたちょうど80年代って、上野千鶴子さんがデビューして、その時上野さんはソバージュの髪に真っ赤の口紅で現れて、インパクトがありました。おじさんたちを口で打ち負かしていくし、すごくかっこいいなと思っていました。アグネス論争で、「男性が子供を連れずに職場に行けるのは誰のおかげだ?」とアグネス擁護として立ち上がった時は、迷いなく上野さんを支持していました。

でも、今振り返るとアグネス論争って何だったんだろうって思います。そんな時、小倉千加子対談集『対談 偽悪者のフェミニズム』を読み返したんですが、氷室さんがとても冷静にアグネス論争を振り返って上野さんを批判しているのを読んで、はっとしました。アグネス論争で上野さんの論敵とされた林真理子さんや中野緑さんは、もし実際に女性が赤ん坊を職場に連れてきたら絶対に邪魔をする男たちがアグネスさんを礼賛している嘘くささや、働く女性をまるで代表しているかのように発言していたアグネスさんの「鈍さ」を批判しているんです。それをここぞとばかりにフェミニズム的な議論に上野さんがすり替えた。そのことに対して氷室さんは「個人的な共感性や感受性を無視して効果や効率を第一に持ってくるようなプロデューサー的視線のフェミニズムって男性がしてきたことと変わりがなくて、それってフェミニズムが今まで批判をしてきたものではないんですか?」ということを言っていて、まさにその通りだと思うんです。

あと氷室さんはお母さんが今で言う毒母でしたよね。氷室さんが結婚しないこととか、プライベートなことをラジオ番組とかで勝手に喋ってしまうという。当時は誰もそれをフェミニズムというカテゴリーでは評論していなかったけれど、氷室さんが書かれていたのは元祖毒母のところで苦しんだ娘のお話だったんですよね。

でも当時は「こんな本はばかな子が読む本だ」という風潮はありましたよね。コバルト文庫って漫画みたいに読みやすくて、しかも女性が書いている。それまで男性文化人が書いた「みんなが読むべきもの」を読む文化からからコバルト文庫に行くのは私にとってカルチャーショックでした。だけどそういう女性作家の作品を読むと男性作家にはジェンダー感覚があまりにも酷い人が多すぎてその世界には戻れなくなりました。

田辺聖子も大好きでしたね。子供の時は田辺聖子の作品は結婚できない女の話ばかりでつまらないなと思っていたんですが、よくよく読むと彼女の作品ではすごく自由な女性が描かれているんですよね。だけどやっぱりそういう女性作家があまり評価されない、そういうことはつい最近まで、というか今もあるわけですよね。林真理子の作品もすごく好きでよく読んでいました。『白蓮れんれん』なんてすごくフェミニズム的だと思います。有吉佐和子も大好きでした。

パフォーマンス・アート系のものでは私が20代半ば頃にイトーターリさんのパフォーマンスを美術手帖で知って、観に行きました。衝撃を受けましたね。セクシュアリティについてのパフォーマンスで、全身ゴムに入りながら体の形を変えていって、レズビアンであることをその作品の中で発表していくというパフォーマンスです。

大衆文化的なところでは95年に日本で初めてレズビアンであることをカムアウトしたメジャーなアーティストが笹野みちるさんです。今も活動されていますが、若い人は知らないかもしれないですね。95年では彼女は誰もが知っている大スターでした。そもそも『東京少年』というバンドでデビューしていますが、笹野さんがが歌うのは全部シスターフッドの歌で、すごくいいんです。笹野さんは同志社の女子校出身で、そのときに味わった女の子同士の友情が全ての根幹にあるんですよね。当時すごく憧れていました。

彼女がカムアウトしたとき彼女の母親が国会議員だったということもあってすごく大騒ぎになりました。でもメジャーな文化の中でも勇気を出してカムアウトする人がいたんです。だからフェミニズムをカルチャーという文脈で見ると昔は何もなかったみたいなことを言う人もいるんですが、そんなことはなくて、ちゃんカルチャーの中にも闘っていた人はいると思います。

でもそういう文化って本当に瞬間的に流れていってしまうんだなと思います。それで唯一残るのがやっぱり今40代くらいののおじさんたちが好きだったものなんですよね。『おニャン子クラブ』の秋元康がすごく出世したりだとか。男性が愛した文化しか残らない、そこに他のものは飲み込まれていってしまうというような感覚がありますね。女性だけで成り立っている世界は消されていく。自分たちが排除されることに弱いというか、排除に敏感というか…。

──今までで印象に残っているフェミニストとの対話エピソードなどありましたら教えていただきたいです。

この間矢島楫子のことを調べているときに矯風会の方におすすめしてもらった三浦綾子の『我弱ければ 矢島楫子伝』という本がすごく良かったです。

──矯風会、今も続いていると知ってびっくりしました。すごいですね。

すごいんですよ。でもそれが今もなぜ続いているかというとやっぱりあの時代に慈愛館という女性たちのシェルターを作るために買った土地が財産になっているんです。朝日新聞の新聞記者だった松井やよりさんはアジア女性資料センターなど、大切な場所を残して下さいました。フェミニスト新聞の『ふぇみん』も昔の人がマンションを購入していたのはとても大きい。もし場所がなかったら、経済的に持続することはとても大変だったと思います。

前の世代の女性たちが土地を買ってくれたり、彼女たちが亡くなったときに自分の遺産を全部そこに寄付したり、そういう女性たちがいるからこそ活動が続けられている面もある。やっぱり資産とか場所をきちんと守る人がいるのは大事なんだなと思いますね。女が女に手渡すものとして。「フェミニストは土地を持とう」みたいな結論ですが(笑)

──『風とともに去りぬ』みたいです。
そうです、スカーレットですね。

【第3回に続く】