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フェミニストで作家『ラブピースクラブ』代表・北原みのりさんにインタビュー【第1回】

フェミニストとして長年活動をされてきた作家、また女性のためのセックストーイショップ『ラブピースクラブ』の代表を務められている北原みのりさんにインタビューをさせていただきました。今回は今年3月に『日本のフェミニズム – since 1886 性の戦い編–』を編集し刊行されたきっかけや、北原さんの考えられる日本のフェミニズム、北原さんが影響を受けられたものなどについて第3回に分けてお話を伺っていきたいと思います。

──まずは私から、北原さんにインタビューをさせていただきたいと思った経緯についてお話させていただきます。『日本のフェミニズム』の第1章でも触れられていたように、ここ数年フェミニズムに「新しい風が吹き始めている」というのは日本でも少しながら感じます。例えば2014年にエマ・ワトソンが国連で『He for She』のスピーチを行ったり、ビヨンセが「フェミニスト」というメッセージと共にステージパフォーマンスを行ったりしたことなどをきっかけに、海外の、特に欧米のアーティストたちの活動を通して今までフェミニズムに触れたことがない人たちにもフェミニズムについて考える機会が増えたことで、自らをフェミニストだと名乗る女性が体感として増えたような気がします。私自身も「女の子たちが姉妹のように語り合える場所を」というフェミニズムをベースとしたコンセプトのウェブマガジンを運営していると「フェミニズムはクールなものなんだ!」という気持ちで女の子たちが集まってくれる姿を見て、日本における若いフェミニストたちの台頭を肌で実感する機会が増えました。ですが、その中で「フェミニズム」=海外からやってきた、今旬でクールなもの、という概念が強くあるようにも感じました。その時に浮かんだのが「これは本当に新しいことなのだろうか」「日本にも昔からこういった活動はあったのではないか」という疑問でした。

同時に「今までフェミニズムは危険な思想で、フェミニストは男嫌いのクレイジーな人たちだと思ってた」「今の時代のフェミニズムはこれまでのフェミニズムとは違って」というように、今の新しいフェミニズムは日本の過去のものとは違う、というようにして過去の日本のフェミニズムに対して否定をした後に現在のフェミニズムを持ち上げるようなことを言う方に出会うことも多々ありました。

でも実際に昔の日本のフェミニズムの本や、北原さんが1998年に刊行されたエッセイ『はちみつバイブレーション』を読んでいても、今読んでもとても新しいことが書かれていると感じると同時に、今よく言われている「男らしくとか女らしくとかやめよう!ジェンダーレスな社会を目指そう!それがフェミニズムだ」というようなことを北原さんは昔から主張されていますよね。
なので、日本の先人のフェミニストたちを「男嫌いのクレイジーな集団、ヒステリーな女たち」というふうに扱って、マイナスな印象を残してきたのは社会であって、それが枷となって今新たにフェミニズムを享受した人たちが日本で昔からずっと活動をされてきたフェミニストたちとうまく連動できていないのだとしたらすごく心苦しいなと思う時があって。なので今回は何十年も前からフェミニストとして活動をされている北原さんの日本でのフェミニズムの広がりについて今思われていることをお聞きしたいと思いました。

ありがとうございます。私はやっぱりフェミニズムって前の世代のカウンターとして、次の世代が声を上げるということはあると思うんですよね。「前のやりかたとは違う」「前のやり方は上手くいかなかったけど自分たちは上手くやる」というようなことって新しい世代がずっと言ってきたことなので、社会運動ってそういうことの繰り返しなのかなとは思っていて。ただ、前の世代のカウンターであることと、そのことを知らないということでは意味が違いますよね。
私は『日本のフェミニズム』の編集をした時に全く矢島楫子のことを知らなかったんです。この本は1886年に矯風会(日本キリスト教婦人教会)が日本で初めての女性団体として立ち上がった年をフェミニズム元年にしているのですが、私自身、実は矯風会をフェミニストだと考えたことはありませんでした。やっぱり日本のフェミニズムの最初といえば『青鞜』だと思っていたんです。

でも、矯風会の孫世代の『青鞜』を作った平塚雷鳥や伊藤野枝が否定した矯風会も、矯風会が生まれた時代背景を知ると「やっぱりこの人たちもフェミニストだったんだな」と思うし、『青鞜』の人たちのように前の世代を否定しながら成長していくということはよくある歴史の繰り返しだと思うので、今回のフェミニズムブームみたいなところで若い人たちが「今までとは違う」というのは定番の流れだな、とは思います。ただやっぱりその歴史を知らないとまたゼロからの始まりか、みたいな気持ちがあって、それはすごくもったいないと思っていて。

私が書かずとも、世の中の大体のことは既に昔の人が書いていると思うんです。私が『はちみつバイブレーション』(1998)に書いたことも本当はもうとっくに70年代に言われていたことの繰り返しだったと自分でも思っているんです。結局女の人たちが痛めつけられていること、痛いと思っていること、怒っていることの根幹は変わっていないから、いつも同じことに対して色んな言葉で違う人が怒っているように見えるかもしれないけれど、その根幹は一緒だということに気付いてほしい、気付かなければいけないことだなと思うのですが、その繰り返しが起こってしまうのは仕方がないみたいなところはありますよね。

──昔の社会運動のやり方を否定して現在のやり方を肯定するというのは昔からある定番の流れなんですね。

そう思います。平塚雷鳥は矯風会の運動は女性運動ではないと言い切っているんです。なぜかというとあの人たちは女性の問題にしか取り組んでいないから、と。変な理屈だと思うかもしれませんがそれは平塚雷鳥が「本当の女性運動というのは人権運動であって、フランスの革命のように『自由、平等、博愛』ということを念頭に置いた、人類のための運動でなければいけない」と考えていたからなんですよね。平塚雷鳥って自由恋愛をうたって、自分らしく生きることを貫いた人で、それもひとつのフェミニズムなんですが、矯風会の人たちはその結婚制度にすら守られない女性の人権のために活動をしていたという経緯があって、どちらの願いも切実だと思うんです。でも、平塚雷鳥からすると矯風会のやっていたことはすごく古い運動に見えたんでしょうね。こういうような議論って実はフェミニズムの歴史の中でもずっと繰り返されています。正直私はフェミニズムに新しいことなんて今さら存在するのかなと思っています。『日本のフェミニズム』にも書いたんですが、フェミニズムって老婆の顔をしているんです。だからその顔をちゃんとみんなが愛情を持って見つめないと、またゼロからのやり直しになるので、それがもったいないなと思っています。

──『日本のフェミニズム』を刊行しようと思われたきっかけを教えてください。

フェミニズムに関するはじめの一歩になるようなテキストが必要だと思ったんです。今の社会、フェミニズムがどこに行くのかを考えるときに過去と今を繋ぐテキストが欲しいと思いました。『日本のフェミニズム』の中で小説家の笙野頼子さんも書かれていたのですが、すごくキラキラした商業主義的なフェミニズムというのはやっぱり憧れるし新しさも感じるけれども、フェミニズムは人権問題で、これまで女性たちがどんなふうに闘ってきたのかということを知らないと、自分たちがどこに向かおうとしているのか、今どこにいるのかが見えないような気がしたんです。

──私は思想としてフェミニズムの考え方を理解しているつもりではいるんですが、その歴史となると学校では全く習わなかったし、歴史の授業でも「昔は男女平等ではありませんでしたが、今はその問題は解決して平等になりました。はい、終わり」みたいな感じだったので、その歴史を勉強したいと思った時に日本のフェミニズムを扱った本はたくさんあっても、どこから始めていいのか分からないな、と迷ってしまう時がありました。なのでそのときに『日本のフェミニズム』は日本のフェミニズムの歴史を知る入り口としてすごく手がかりになると思いました。

日本のフェミニストのイメージって誰か具体的な人がいるわけでもなく、どんな人たちが闘ってきたのか、あまり女性たち自身も知らないので気になっていました。例えば「日本で闘ったフェミニストの名前を5人挙げてみて」と言った時に5人挙げられる人っていないんじゃないかなと思うんです。そこに挙げられるのってせいぜい上野千鶴子さん、田嶋陽子さんぐらいで。「一体どういうことなの?」と思いますよね。女が女の名前を残さないと、男は代わりに語ってはくれないんですよね。

例えば矢島楫子について調べているときに取材をしていると矢島楫子のデスマスクが矯風会の資料室の段ボールから出てきたんです。「いやせめて、飾ろうよ!」って笑ってしまいました。女性って偉人を象徴化して偉大化することに力を入れないんですよね。逆に男性はやりすぎだと思うんですが。いくつ建てるんだっていうくらい男性の銅像はたくさんありますよね。女性の闘いの歴史というのは男性メディアが率先して扱うことではないので、女性自身が功績を残した女性を偉大化していくというか、女性自身がちゃんとその歴史を残さないと歴史は消されてしまうのだと思いました。なのでそれも『日本のフェミニズム』を出そうと思ったすごく大きな動機でした。女性の偉人の偉大化も、この本でやりたかったことです。

──私は日本のフェミニズムの歴史ついて学ぼうとするたびに、「こんなに大切なことをなぜ学校で教えてもらえなかったのだろう」と思うことが多々ありました。戦国武将の話など、男性が主役の歴史はみんなが知っておくべき常識的な知識として学校で教えられるのに、こうして闘ってきた女性たちの歴史はなぜ語られないんだろう、と。なので私も女性自身が語らないと、女性の歴史は消されていくという意見にはすごく思うところがあって。北原さんがリアルタイムで見てこられた中で、「歴史が消されているんじゃないか」という場面に遭遇されたことはありますか?

いろいろ消されますよね。この間30代前半くらいの女性たちと話していたんですが、誰も市川房枝の名前を知らなかったんですよ。私にとってそれは結構びっくりしたことで、「もしかして歴史の教科書に載ってないの?」と思ったんですが、多分載っていても、忘れちゃったのかもしれませんよね。でも絶対忘れちゃいけないでしょ、と思いました。伊藤博文や板垣退助は名前だけでも絶対に知っているのに、市川房枝のことは知らないという。でもそういう教育を受けてきたからなんですよね。

──私も市川房枝の名前は聞き覚えがあったのですが、『日本のフェミニズム』で読んで改めて「ああそうだった!」みたいになることが多くて。

そうそう。そういう状況にとても危機感を感じます。やっぱり自分たちの生きやすさみたいなものはただ黙っていて手に入ったものではない、それのために人生をかけた人がいたということに思いを馳せるのって、私にとってすごく大切なことなんです。といっても私も別に毎日市川房枝のこと考えているわけではないんですが(笑) でも知らないのはダメだなと思いますね。

──北原さんが自身をフェミニストだと自認されるようになったきっかけとして、小学生のとき市川房枝が亡くなった日にクラスに自分で新聞を作って貼り出したというエピソードを北原さんの著書で読んだのですが、小学生の時点で社会の不平等な部分に気がつくことができるのってすごく稀有なことなのじゃないかと思って驚きました。どうしてそういう行動に出ようと思われたのか覚えていらっしゃいますか?

それは自分がすごく市川さんの仕事に感動したからだと思います。亡くなったばかりの頃は毎日のように市川さんのことがニュースで流れていて、この人はどんな人だったのかということをおそらく周りの大人が教えてくれて、「かっこいい!」と思ったんですよね。それでこの人のことを知りたいと思ってそういう行動に出たんだと思います。その時おそらく私が大人になってもきっと男女平等は実現しないんじゃないかなとうっすら子供ながらに感じたんですよね。だから、市川さんのように女性のために生きているというか、闘っている存在がいることが励みになるんだと理解したんだと思います。だから自分にとってのフェミニストの意味はずっと「女性のために闘っている人」で、フェミニズムが格好悪いとか思わないでいられたのはすごくラッキーだったと思いますね。

【第2回に続く】