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わたしの新しい世界 -アメリカ留学体験記(1)-

私は2014年、今から約2年前にアメリカのニューヨーク州に留学をしていた。
私がいたのはニューヨーク州といえど、あのビルが立ち並ぶ煌びやかな「ニューヨークのニューヨーク」と呼ばれる場所ではなく、北部の田舎だったのでマンハッタンまでは飛行機で1時間かかった。
学校のあった地域は貧しい白人層が人口の多くを占めていて、過疎化が起きている場所でもあった。そこでは町いちばんの繁華街に出ても人や店がいつも閑散としていて、真昼間なのに街全体が暗く静かで、不気味な雰囲気が漂っていた。

私は初めての長期留学、初めてのアメリカにとてもわくわくしていた。私は住んでいた関西から東京、東京からシカゴ、シカゴから小型機で学校の最寄り空港、といったふうに待ち時間を含め丸1日ほどかけてそこへ到着した。

大学から事前に送られてきた書類には「学校に到着次第、最初に留学生サポートセンターに行くように」と書いてあったので、時差ボケと長時間のフライトの疲れでぐったりしながらも閑散とした空港から1人タクシーに乗り、心細い気持ちでその場所に向かった。
学校といってもそこは大学1つで街のようなものを形成しており、校内に小さな美容院や洋服店があったり、大学の中だけで人間が生活できるようにはなっていたが、ひとつひとつの建物がとても離れていて車で移動しなければどうにもならないような広さだった。

そしてやっとそのサポートセンターだという一見家のような建物の前に到着し、重い荷物を抱えながらベルを鳴らした。学校はまだ新学期前の休暇中だったので校内は人がまばらで、その建物の周りにも全く人がいなかった。少し不安になったが、しばらく待つと大柄な職員らしきおばさんが現れた。そして「あら、今日ここはお休みなのよ」とあっけらかんと言った。どうやら彼女はここが留学生が最初に到着する場所と指定されていることも知らされていないようだった。
その日私が到着したのは平日の夕方で、書類にはサポートセンターに休みがあるなんて一言も書いていなかったし、それに学期が始まる10日前には学校に到着して最初にここへ来いと何度も書いていたではないかと思った。しかし、おばさんはそれだけ告げて中に入ろうとしたので、私は「待って下さい!」と必死に引き止めた。今そんなことを言っている場合ではない、と咄嗟に思ったからだ。そして彼女に、自分が今日初めて外国から来た留学生であり、ここで見捨てられると他に行くところがないということを話した。そうするとおばさんは「困ったわねー」と言いながら色々なところに電話をかけてくれ、最終的に私が入る予定の寮まで車で送ってくれることになった。
その後車の中で話していて分かったことだが、その日あの建物にいたのはそのおばさん1人だけで、彼女ももうすぐ帰ろうとしていたところらしく、もし彼女がいなければどうなっていたのだろうと考えると少し怖かった。

1年間生活をする予定のその寮はメインキャンパスからはバスで10分かかる南キャンパスと呼ばれる場所にあった。そこはキャンパスという名前は一応ついていても野生動物が頻繁に現れる、隔離されていると言っても過言ではないくらい何もない、ひたすらだだっ広い森のような場所だった。

寮の前に着くと職員と思われる人たちが私を迎えてくれ、アメリカではRA(Residense Adviser)と呼ばれる寮長のような役目を果たす生徒が、私のばかみたいに重い荷物を3階まで運んでくれた。やっと部屋に到着すると、ひと安心した。これで寝場所は確保したし、異国で野宿しないで済むと思った。
そして先ほど荷物を運んでくれたRAが南キャンパス全体を案内してくれるということで、私とその日到着した韓国人の男女2人はキャンパスを一通り案内してもらった。そこでキャンパス内にはブルーの街灯のようなライトが時々設置されていて、夜キャンパス内を歩いていて襲われた場合など、何かあった時はそこまで走って非常ボタンを押すようにと教えられた。正直そんな非常事態の時に果たしてランプまでたどり着くことができるのかどうかは疑わしかったが、そこで私は「アメリカに来たんだな」と少し実感した。

その案内の時、韓国人の2人は時々韓国語で話していたので日本人は私だけかと思っていたところ、女の子のほうがネイティブような日本語で私に話しかけてくれたので、とてもびっくりした。その子は東京の有名な大学にフルタイムで既に3年通っていて、韓国から日本の大学に正規の学生として入学し、またそこからアメリカに留学しているというバイタリティーに溢れた女の子だった。
その子と話しているうちにその子が私と同い年ということや、同じ母子家庭出身で家が裕福でないことなど、お互いの境遇や価値観がとても似ていることが分かり、すぐに打ち解けることが出来た。また、日本人を一度も見かけない場所で、自分以外に日本語を理解してくれる人がいてくれるということはとても心強かった。そして彼女はこの留学生活を通して私の大切な親友の1人となり、これからも登場するので、ここで彼女をジニと呼ぶことにする。

当然のことだけれど、その日突然外国からやってきた私たちは食料はおろか布団やシーツさえも持っていなかった。部屋にはあまり清潔そうではない使い古された薄いマットレスが置いてあるだけだったので、その日眠るには最低でもシーツと布団を手に入れる必要があった。それに寮には食べ物どころか飲み水すらなく、寮からすぐ近くの食堂やジム、小さいコンビニが入っているスチューデントセンターは学期が始まると同時に開くことになっていたので、それまではまだ1週間ほどあった。
おかげでとにかく飲み水や食料など、その日手に入れられるものは手に入れないといけない、と私たちは少し焦っていた。その後RAに南キャンパスから10分ほど歩いたところにスーパーがあることを教えてもらい、ジニとその学校外のスーパーに買い出しに行くことになった。
そしてこのスーパーでの出来事は、留学から2年経った今でも私の心に暗い影を落とす、忘れられない出来事となった。